大原千尋と南野馨は、陶による実験的な作品の制作が試みられてきた系譜の中に位置する作家たちである。
土を焼くことにより強固な形を生み出す技術が、陶芸として洗練され、実用性を持った造形の文脈を形成してきたことに対して、より自由な造形への挑戦が始まったのは1940年代後半のことだった。前衛陶芸とか現代陶芸と呼ばれるその動向は、既に70年になろうとする歴史を有し、様々な作品によって具体的な表現の領域を私たちの前に示すものとなっている。
立体的な造形でありながら彫刻とも異なった、あくまでも陶芸としての新しい表現が追求される中で、壷の口を閉じることによる実用性の積極的な否定が、一つのメルクマールと考えられた。
茶碗や壷を中心に作ってきた陶芸は、再現的な描写を行うものではなかったわけで、美術全体が抽象的な造形の可能性を追求した時代にあっては、独自の表現を生みだしうる領域であったとも考えられるだろう。
正十二面体や正二十面体から球を形づくる南野の幾何学的な作品は、抽象性の追求を推し進めながら、同じ形を反復させるという職人的な仕事のあり方に基づくとともに、空虚を内包することで成り立つ器というものの性格を、器物とは全く異なるやり方で引き継いでいる。
「菜器」と名付けられた大原の作品は、野菜や果物の形を模しながら、口の開いた壷でもある。壷の形を取ることによって、逆に壷への批評性を獲得しながらもユーモラスで、食物の形は祝祭性を帯びる。陶であることによるはかなさよりも、同じ土から生まれるものの生気が満ちている。
一見すると全く性格の違う二人の作品だが、いずれも作ることへの肯定が通底しており、それは土という素材の根源性に支えられているのではないだろうか。
|